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  • 2013.03.31 Sunday
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東南アジアで一番金使ってたんだね

ズーカ―はね、結構豆な男なんだよ。

知ってた?

中国・成都にいた時に、フラッーと何でも売ってる何でも屋で、手帳を買いました。
それにね、旅を通して各国で使った金額を記載していて、訪れた全ての国記載しているほどの
お豆な男なんだよ。

そーだよ
出納帳(すーいとーうちょう!)ってヤツだよ。


旅の間、合計3冊、中国・ドイツ・中南米のどっかで購入したわけなんですが、東南アジアで1日の平均生活費で一番使ってるのが、ベトナムだったんで、今更ながらびっくらコいた。


ほんと「ベトナムこのやろう」だよ。


ベトナム・ハノイのコンビニ、店員が可愛い


それはまぁ置いといて・・・


初めての国境越えで、ドキドキしすぎで訪れたベトナム。


しょっぱなからひと悶着ありました。

国境を出ると、バイタクなのか、普通のバイクに乗ったオッサンなのかが、歩く先歩く先にどこまでもついてきて・・・

「NO!」


が多分


「YES!」


だと思ってたのかね?・・・流石に怖いんで捲いてやったけど(捲いた後も探してるから怖いよ)


山岳民族が暮らすサパ行きのバスを待つ間、ラオカイという場所にある初めて入ったレストランで、お勘定を払った後、不敵な笑みを浮かべたおっさんに、ベトナムドンの桁に数学音痴のズーカ―の脳は付いていけず、70000ドン(350円)の所、700000ドン(3500円)、10倍の値段を払ったことに後で気付いて、店のおばちゃんにチクりんこをかまして、ちゃんと返してもらったり(おっさんめっちゃ怒られてた、おばちゃんと娘ーズはめっちゃ優しい)

サパの観光案内所では、態度の悪い所員の小男に頭にきてFワードを使った所、場外乱闘の危機に陥ったり



ベトナムローカル寝台バスとは雲泥の差の、シンカフェ寝台バスのあまりの快適さにぶっ飛んだり


↓これローカルバスね
席ない奴は、皆床で寝るよ、隣のヤツとの腕の陣地争いで疲れる


ニャチャンでうっかり入ったATMでは、桁のあまりの多さに混乱し、欲しい金額以上の

2000000ドーーーン(諭吉1枚)を一括でおろすという愚挙を犯してしまったり(もうね、ビックリした・・だってすぐ出るつもりだったから)


特にいたくもないのに、4、5日滞在を延長したり

まぁその後カンボジア・ラオスでも再会する韓国人とも出会えたけどね。


ハノイでは、旅中屈指の詐欺師に、宿代、ツアー代含めて2倍ボラレたり
ローカル食堂では、ローカルとの飯代のあまりの差(6・7倍)に、店員と揉めたり
ウッカリ入った近代的スーパーで、様々なモノの本当の値段を知ってしまい、
値切って値切って値切ったくらいの金額が妥当だということに気付いたり
何だかんだで使った交通機関、全部2倍はイカレてることに気付いたり・・・

2、300メートルの距離にバイタクで10万ドン(500円)はないだろうよ。
結局2万ドン(100円)だけど、それでも2倍は取ってるよ。




痛々しい写真も多かったホーチミン戦争跡博物館も、なんかあっさりだった
↑ズーカ―とおない年の結合双生児ベトちゃんドクちゃんの写真です。


P.S

旅の前、日本にいた時観たドキュメンタリー番組で、ドクの現在を見た(多分2009年にタイに旅行行く前だったと思う)。
分離手術後、お兄さんであるベトは病気で亡くなってて、ドクは結婚し、子供が生まれてて、実の姉や親との確執があり、上半身と片足のみでバイクにまたがり、ハノイを、あの大勢のバイクが走りまくってる横で並走する彼の姿を見て、ベトナムの熱気を感じた。

なんか・・・オレいつかココへ行くかもな?と思ったのを今でも覚えてる。




正直・・・ベトナムは、ズーカ―の中で印象が薄い国なのですが、良いか悪いか、
お金の面・小さいトラブルでは深く胸に刻み込まれたんだな・・・


「イライラした国だったよ、コノヤロウ」と、言ちゃっていいんだろう。



その後、ズーカ―が東南アジアに求めてたもの(ブログ参照)を、カンボジアとラオスで発見できたのでまぁー良かったですが、サパなんか雨のせいで、全くみてないから気になるけど、またベトナム行くかどーかは、わかんないな。


訪れた事ない人には、なんだかんだで勧めちゃうけどね。


ハノイーフエーホイアンーニャチャンの間でバスの中から観た蛍の光の様な闇夜に浮かぶ
田園風景の美しさは、今でも脳裏に焼き付いてる。

ホント綺麗で、綺麗すぎてずっと見ていたかったわ。


あと、ヌルイ日本では感じられない闘争心が湧きでてくるかも。

アオザイ姿の女性達も綺麗だよ。

ズーカ―とバックパック

バックにはまぁまぁ思い入れがあるかな。

旅の前にそこそこ大きいバックパックを購入しようと思ってた。

機能的でいて、結構強靭、それで防犯機能も備えたもの。
んであんま高そうじゃない、アンド、ダサくない。


色々探してたら


 Eagle Creek が目にとまり、
 

20000円程でしたが、旅前の超節約生活中のズーカ―には、中々の出費でしたが、結果として彼はかなり役に立ってくれたな〜。

ただね・・・やっぱ重くてね〜

冬のヨーロッパとか極寒地帯は体が温まるから、まぁイイとして、東南アジアと中南米ではパトラッシュ僕はもう疲れたよ・・・状態だったなぁ

8キロ以上痩せて、引き締まったボディを手に入れたものの、ズーカ―の首あんど首筋が更に悪化するという事態も起った。



様々な国を旅する上で、乗り物の存在は欠かせない。

バス・タクシー・飛行機・船

これらに乗る上で、バックの盗難にもあわず、臭いものまみれになることもなく、まして一度も紛失することもなかったのは、「絆」とでも呼んであげたいほどズーカ―の旅における幸運の一つであったのかもね。


そんな彼の写真をダイジェストで


神戸駅・東京からの夜行で着いて、

中国・成都でバスターミナル行きを待ってる

インド・ガヤーでコルカタ行きを待つ

トルコ・チャナッカレからブルガリアとの国境近く

ドイツ・ベルリンの地下鉄構内

ドイツ・フッセン行きの電車内

ポルトガル・リスボン

中南米ではチェーン常にしとりました

エクアドル・トゥンベス国境からコロンビア側国境・イピアレスへ抜ける途中


ホント亀仙人の強さがわかった気がする。

あれってギャグじゃないんだね、修行だったんだ・・・



当分活躍の時がないのも寂しいから、出勤で背負って行こうかな。

バッグは大切に!

筆談

空いた時間を使って、色々旅について「ふっ」と浮かんだテーマに沿って書いていこうと思います。

まずは、言葉から

あの旅において、訪れた国々で使っていたのは 基本的に「英語」でした。
東南アジア、ネパール、インド、トルコ、そして欧州。

次に多かったのが、アルゼンチンからメキシコまで、中南米をほぼカバーしている「スペイン語」。

だが、後にも先にも言葉を使う上で、「話す」より「書く」事が多く、最も苦労したのは、この旅1カ国目の人口13億にして五千年の歴史を誇る中国のみだったと思います。

旅の初め・・・神戸から新鑑真号に乗った時に、多くの中国人がいました。

日本で事業をしている方、日本での出稼ぎから帰る方、日本人の旦那さんがいる方、日本語を流暢に操る人々も何人か見かけました。

2泊3日の船上生活の中で、南京で日本語学校を経営している張さんという方に出会え、この旅最初の電車チケット(上海ー南京)を購入してもらい、その後の宿まで探していただく(中国全土のユースホステルマップ付き地図も頂く)という恩恵に出会えるのですが、幸か不幸か、旅のしょっぱなから現地人に甘えてしまった為、その後のクソ暑い中国大陸を旅する上で、言葉が全く通じない上での苦労を結構な頻度で味わう事になりました。


実は、僕は旅の前に一冊だけガイドブックを購入していました。

「地球の歩き方 東南アジア編」(新品)です。

当初僕の中では、東南アジアがトッププライオリティ。
会社の自分のデスクにある世界地図で

「ここはこう行こう。いややっぱこっちもいいな。ここなんか・・・やべ〜面白そう!」

と東南アジアを縦横無尽に旅する行程を一人夢想していたくらい一番訪れたかった国々です。

その後の当初の最終目的地であるフルコース・メインディッシュ(インド)の前のアペタイザーって、感じでした。

話しは戻り中国、東南アジアに心が飛んでいたため、中国向けのガイドブックの言葉欄のコピーと、行ってみようかな?な土地(三国志ゆかりの地)を数種類あるガイドブックから数枚コピーするのみで旅に持っていきました。

そのガイドブックコピーには、言葉欄以外に紙幣や電話のかけ方、トイレ事情や、街のおおまかな説明と観光地の場所と説明はあるのですが、宿も交通手段の詳しい詳細も無い為、旅ビギナーズーカ―にはお手上げ状態でした。


しかし、言葉欄だけは紙がボロボロになるまで使っていました。


右の彼が興味深そうにみているのがそれです。in 昆明

このコピーのお陰で、上海・南京に次ぐ三番目の都市である武漢以降、一人になっても多くの現地人と触れ合う事が出来ました。

通じない時は、主に筆談。そう、HITSUDANです。

使い捨ての紙に「我要 なんたら」と書くわけです。
英語にすると「I Want・・・」みたいな感じですわね。

これは後にも先にも中国のみでの経験です。
バスの切符を買う所、駅、食堂、宿に至るまで、何度書いて捨てたか覚えてません。

それ以外では、宿で出会った多くの中国人旅行者(英語話せる・又は日本語も)に助けられ、電車の切符の購入を助けてもらったり、飯屋において、意味不明の漢字のメニューから簡単な炒飯(チャーハン)以外の食事にありつくなんて事もしょっちゅうでした。


全く旅慣れても無く、ヒゲも毎日キチンと剃り、全てにおいて新鮮なほぼ素のままのズーカ―だったと思ってます。

深夜特急風に言うと、「少年期」。
ズーカ―風に言えば、「旅童貞ズーカ―」って感じですかね?

今中国と仕事でしょっちゅうコンタクトを取り、イライラすることもありますが、にーはおトイレや、原チャリの多さ、老若男女を含めたちゃいなのマナーの悪さに軽くぶっ飛んだものの、旅の最初に文化的に最も近いアジア・中国を選んだのは正解だったんだなと、今にして思いますね。

飯も安いし、10元から15元(130円〜200円)くらい

真ん中のジュース4元(50円)の旨さは・・・・異常。

完全版

を目指して、もっか編集作業中!


ではなく・・・思考中のズーカ―です。


とりあえず思い出いっぱいの南米編から始めています。
読み返してみると、中国・ベトナムらへんはヒドイもんです。。


旅中は、ブログの記事に反して撮った写真が多すぎる為、かなりハショって国々の印象や、ちょっとした事柄、うーまん関係、オモシロそうなネタに絞ってピンポイントで書いてました。


んーーーーが、


時間に追われていた?旅中に比べ、時間のある今は、もっと詳細まで写真とともに付け足したいわけです。

昔の記事に写真を付け足すだけなんていう、ハリウッドもビックリのにわかリメイクもやっちゃいます。

帰国して半年以上が経ち、もはやタイムリーではないため、旅中の心情、苦労は書けない・・・
深夜特急だったヨーロッパ

書けなかった訪れた場所、出会い、え○は封印・・・と思い出補完な内容のみです。


今日本で普通に働いているズーカ―が書くため、ハッキリいってオモシロくはなりません。

旅で出会った色んな人の写真も使いたいとこですが、勝手には使えない(特に日本人は)ので
困ったちゃんです。


動画なんかは、mixiの方に、シェフの気まぐれサラダってな感じで気まぐれにUPします。


読み返してみて、あ〜旅ってやっぱサイコー!的な感じにしたいですかのぉ。


ズーカ―は触発されてまたバックパック担いで、ふら〜と長旅にいかないように気をつけにゃあきまへん。


グアテマラはサンペドロラグーナにて

VIVA たび〜

働き蜂として行きますか

お久しぶりです。ZOOとCAR

ズーカ―です。

旅の間だけの期間限定子Blog更新です。

早速ですが、先月から職をゲットしましたので、働いてます。


国際物流中堅→国際物流大手→ちゃいな他アジア系物流べんちゃー(現在)ってな感じでS.

おふぃすぺーぱーわーくより、昭和男子校の流れを組むガテン系の現場業務が向いてる自分は、一社以前お世話になった会社があり、残業地獄だが、知り合いもいるから、そこに未だに後ろ髪が惹かれてます。

海外も知らなかった若いころの、現場でこういう風になりたい理想の自分像があんのよねー。

まぁ一生分の有給休暇使った感じだし、借金もあるし、休みも特にいらないから来月あたり応募するかもしれません。


ブログも思い出補完で、今後初めから色々編集して、映画みたいに完全版にでもしようかな?





関係なくメキシコのテオティワカン遺跡
このモホシャツは本当に世話になってたし、今もなってる。
日本で着てても、モホはよってこないから大活躍するでしょう。


ようやく日本も温かくなってきた。
波乗り始めよう。

ではごきげんよう。

Wander-Thirst


"Beyond the East the sunrise, beyond the West the sea, And the East and West the wander-thirst that will not let me be."    


東の朝日の向こうへ、西の海原の向こうへ
旅を求める熱い思いは私をとらえて離さない


Gerald Gould ジェラルド・グールド


何か「漂泊」という言葉が浮かびます。


旅人であり、サーファーであり、牧歌的な田舎が好きであり、農業をちょっとかじってるヒッピー的なマインドを持ってるズーカ―。

僕は旅人であり、漂泊者ではないですが、漂泊について思いを巡らす時があります。明確な理由がありその地を訪れる旅人と、土地についても無知でふらふらと漂い泊まるだけの漂泊者。



長旅の途中にも、旅人のような漂泊者に会う事はありました。
短期旅行者のように、逆に綿密に計画を立ててる長期旅行者にも会いました。

行く先定まらず自身が漂泊してる感に襲われた事もあります。
ただ恐ろしいまでの自由さは得られるんでしょう。


もしまた旅に出る機会があったら、その時僕はどっちを選ぶでしょうか?

とか言いながらHISのツアーとか参加してみたいかも?


インド・ブッダガヤー

2012年の野望

もーどもーど謹賀新年


↓写真は旅最後の国メキシコの首都メキシコシティーに居た時に撮りました。
被る機会今の所ゼロです。miamoレイミステリオ〜

今年こそ今年こそ、ラテンパイオツカイデーチャンネーとザギンでシースー、お次にギロッポンでルービーでパツキンジンガイのパイオツミーモーテルホでガマイオガマイオ、ゴイスーゴイスーと行きたいもんです。。。半分冗談です


さてさて2012よ、今年はどうなるのだろう?
ズーカ―のみならず世界にも大きな変化の兆しが見える。

2011年は激動の年だったと思います。

日本での未曾有の震災、福島原発事故、そしてそれらの復興問題、ユーロ危機(ユーロ100円きりました)、アラブ圏の政変、ビンラディン殺害、金正日総書記死亡、タイ洪水、ウォール街デモ、ITの革命児ステーブジョブス死亡・・・・
思い出せるだけで結構あります。

ほとんど今各国が直面している問題は、2012年に持ち越されるワケです。
おそらく厳しい年になると思います。

さて話しは変わり、ズーカ―の今年の抱負・・・言わせて下さい。





ズバリ
















「Love」です。


人間の本質ですね。

ズーカ―ここ数年ほどブーラーのなんたるかをど忘れしておりました。
ジョカノを作って自分のやりたい事との両立ができるほど器用な男ではありません。
また数年前には愛犬が死んだため、愛情を注ぐ対象がいない状態でした。

愛犬と言えば、年末にグレムリン1.2を一気に観たのですが、異形友情モノというのか?
いやいやこの主人公優しい!
ギズモと主人公ビリーの再会や別れのシーンは胸が温かくしい気持ちになりました。
ヒロインのフィービーケイツもゴイスーワイカワー


戻って旅。

旅では愛だの恋だのよりもっともっとオスとして本能的に生きてましたので、色んな女性と出会いましたが、胸キュンすることはあまりなかった気がします。

もう30歳までで自分がやりたい事はほぼやりきりましたわー
完全燃焼しました




ので!


早々に見つけます。大人の女を(熟女もアリ?)


お仕事も見つけます(貯金がヤバイっす〜)。



今の部屋

4か月

が帰国より経過しました。

どーもお久しりーぶーです。ズーカ―です(久々すぎて文章の書き方忘れてます・・・)

去年の今頃は、インドのカジュラホーにおり、大晦日をインド人や短期日本旅行者の方々と酒飲んでた記憶があります。

日本寒さ絶好調っすね!地震もほぼ毎日ある感覚です。
冬になり、ぼくは絶不調っす。。


12月30日、本日は仕事納めでございました。
物流倉庫での週5日勤務のバイトだったのですが、現場はやっぱいいですね。
社会復帰を考えると、日本社会で仕事をする上での対人関係や色々なスキルの再構築、また仕事を通じての反省点などを業務を通じて色々思い出してきました。

さて就職活動、情けないですが、ズーカ―の力至らず未だ内定頂けておりません。
応募した企業ほぼ旅の経験事態は、興味をもって頂けるようなので、全てズーカ―の力不足と能力以上の高望みに原因があるようです(イイトコばっか受けて、仕事選んでますし)
ただ新年早々、大きな動きがあるかもですので、もちろんまだまだ踏ん張ります。

話しは変わり、ズーカ―のブログほとんど写真を必要以上には載せませんでした(意図的にやっております)。

帰国して写真を振り返る事も無かったのですが、冬になり外にあまり出掛けなくなってきたおり、パソコンを前に懐かしく写真を見返していると、色々な発見やその土地土地での自身の感情の邂逅、自分がその土地にいた感覚・・・不思議な感じです。

とりあえずFacebookの方に、旅での膨大な写真を一部UPし始めましたが、あまりFacebookに過度の依存はしたくない、アーンド米系SNSに個人情報を載せまくるのがやや怖いので、目下今後は検討中です。とろあえず今は冬なんで旅の季節に合わせてUPするでしょう。


今日は一年半ぶりにツタヤで借りてきたグレムリンでも観ます。


2012年はどのような年になるのでしょう?
こんなに期待と不安がいっぱいの年越しは初めてです。


ではでは

ある旅人の死

帰国後日払いバイトや、就カツで忙しく日々を過ごしていたおり、久々に世界一周ブログランキングを覗いてみたら非常に驚くニュースがありました。

それは、世界一周ランキングに登録されている有名な旅人夫婦の訃報。
原因はアフリカを旅行されている時に感染したらしいマラリアを、南米ボリビアで発症させてしまい、手当の甲斐もなくお亡くなりになられたということ。

帰国を2週間後に控えていた時期に起きた悲劇。

個人的な面識はありませんが、旅中に僕もブログを拝見させていただいた事があるため、非常に悲しい残念なニュースです。同じ時期に旅をしていただけに胸に来るものがあります。

現地で医者に早期にかかれなかった理由に、ウイルスからくる40度ほどの高熱と体の不調もあったのでしょうが、旅の途中に保険契約が切れて保険の更新が出来かった旨の記述もあり、費用がかさむ事から決断が遅れたのでしょう。僕も全く同じように4月以降保険の更新を、代理店及び保険会社に断られ(海外からの保険加入が不可だったため)保険の延長をせず、8月の終わりまで中南米を旅した経緯があり、ブログ上では書いていませんが、何らかの事態に備えて常に緊張していた事を思い出します。

もう二度とこの地には来られないかもしれないとの思いから、保険が切れても日本へ帰る気は全くありませんでした。お金も尽きかけていましたが、何より南米という地が明るく楽しかったからでしょう。もし何かあったら・・・
今でもですが、自分の事しか考えてませんでしたね。


元々インドまでで旅を終える予定だった僕は、保険には8か月分加入。
長すぎるくらいだろうとの見解でしたが、結果として日数が足りなくなり、更新もできず焦ったわけです。別の保険会社新規加入も考えましたが、結局加入せず。


中南米では、覚えてるだけでも三回ほど発熱してます、結果として大きな事故や犯罪にも巻き込まれる事なく、幸いにも無事に祖国の地を踏めたわけですが、旅に出る前に保険の延長は可能との有名な代理店の方の言葉を信じた自分の認識の甘さも去ることながら、契約延長不可という保険会社の一方的な対応に当時憤りを覚えたのは事実(そんなに使用してない為。。。)



また保険に加入していない旅行者は以外に多くいるのが現状です。天涯孤独でもない限り、現実的な話、保険未加入で、異国で重い病気やケガ、また死亡した場合は莫大なお金が本人や家族に請求されます。

海外では不可抗力の出来事も起るため、保険には必ず加入するべきだと僕は思います。


最後に、今旅されている旅行者は自分の旅に責任を持ち旅を続けてもらいたいです。


恐れずに、でも気をつけて。

思い起こせば

夢を叶える事が出来る幸せに越したことはないと思う。
人それぞれ大小さまざまな夢があるだろう。

モテたい。
綺麗になりたい。
金持ちになりたい。
自分のお店をもちたい。
お嫁さんに’なりたい。
家族を持ちたい。
子供を持ちたい。


他にも沢山etcetcetc・・・・・・おおいに結構。



僕は世界を旅してみたかった。


夢・・・何という甘美な言葉でしょうか。
僕のこの思いに夢という言い方は、小奇麗すぎる印象を与える。
自己願望、目標に向けての自己達成欲とでも呼べるかもしれない。

しかし、これは実現不可能な事じゃない。
人それぞれ様々なハードルが、これはある意味誰でも可能だと思う。
僕にとって、未知の国とは、深い興味を抱く対象と比例して恐怖を抱く対象でもある・・・
何だって踏み出すには勇気がいるってことでしょうか。





インドまで行くとして、現実的な目標として、お金の貯蓄が必要になる。
所得は20万円前後ではあるが、実家に住んでいるため家賃の心配がないのは嬉しかった。
世界旅行の旅費にいくらかかるかわからなかったので、色々節約をした。
日々の食費も削りに削り(たかが知れているが)数ヶ月でインドを通り越して当分問題ないくらいの金を貯めた。

着々と自分の中で進む旅への行程。
親には無論言ってなかった。


東南アジアを通って、インドまで行くというのは決めていた。
しかし、陸路で行くだろうことは、決まっていたがどこからスタートさせればよいのか意外にも悩んだ。
そして、これは大多数の日本人も同じだが、ユーラシアの国々や南米、ヨーロッパと違い、日本は島国のため国境越えというものの経験がないのも行程を不安にさせる要因だった。


考え抜いた末に、僕は旅のスタートとして、真鑑真号という神戸から上海まで出航しているフェりーをまず選んだ。

そう、お隣の「にーはお、しぇーしぇー、タンメンアルヨー」の中国を選んだのだ。

職場には将来の幹部候補生であろう中国からの若きエリートが数人研修にきていた。
インドから来ていた日本語ペラペラの青年もいた。
外国帰りの僕と、異国で働く彼等。
彼らとの交流もあり、中印の国々をもっと見てみたくなったのも要因の一つだと思う。


行く手段において船を選んだのは、まず船旅というものをしたことがなかったし、船旅に漠然と豪華な印象を持っていたためでもある。飛行機が怖いというのが実は一番の理由かもしれない。
中国は、日本とは国家間では色々問題もよくあがる油断できない国だが、顔立ちも近いし同じアジア圏の為旅に入りやすいかな?と思った。
日本の何倍もある国土を誇る大国、インドまで東から西へと向かえる道すじにも興味がわいた。


また「亡き祖父の行程を辿ってみたかった」というのも中国を出発点に選んだ理由のひとつでもある。

自宅の仏間に天皇陛下の馬を引いている若い男の写真がある。
それが祖父だ。

祖父は日中戦争時に、中国の南京へ駐屯していた軍人であった。
3年ほど蘇州、武漢、武昌、長沙まで行軍し、大東亜戦争時には日本に戻り守備隊をしていたとの記述があった。


僕が3歳の頃に他界してしまったため、祖父の面影はほとんどない。
父親も祖父が従軍していた時の話を聞く機会はなかったようで、祖父が無くなって以来残念がっていた。
ぼくが南京に居た時、南京ジェノサイドミュージアムに行ったが、中国人団体の多さに驚いたものだ。
中国は旅最初の国であり、今でも旅した46カ国中、大きな印象を持つ国ではあるが、無知の極みだったあの頃とは違い、中国という国に対して今では多面的な考え方ができるようになった。
しかしあの時は複雑な感情で覆われていた。



話しは変わり


旅の決意を決めてから時はあっとゆうまに流れ・・・


決行の時2010年7月19日が来る。
仕事を退職し3ヶ月が経過していた。
最後まで、退職理由に旅に出るとは言わなかった。言えなかったのかもしれない。
甘えの許されない中途で入社しながら、与えられた仕事で大した結果を出す事もなく、何よりそこで働く人達の一般常識から外れていると思ったからだ。
以前留学にでた時は、送別会を催してくれたりと暖かだった対比を思い出し、いささか悲しくもなったが。

特に誰に打ち明けたというのもなく、今日から出発するという旨のメールなどを友達に送り、夕方家をでてバスで東京駅まで向かった。この旅初めての長距離バス東京駅発神戸行きの夜行バスで神戸に着き、港で一人これから始まる旅の図面を一人心に描き、勇躍していた。


そうして僕は一年以上もの長旅にでた。


実は、初め旅程表というのを作っていて、中国・東南アジアからネパール・インドまでみっちり旅程を書いていた。
その後、トルコやエジプトの国名のみ、そしてヨーロッパは大きく国名もなく書いてあるだけ。

最も訪れたかったインドまでで終わると思っていた旅は、その後ヨーロッパ・中南米と46カ国を旅することになる。


何故?当初の最終目的地であったインドを越えて、帰らずにその後何カ国も周ったのか?と疑問に思う方は、僕のブログを読み返して頂きたいと思う。

僕という人間の動力部・エンジンが何を求めて旅していたかがわかって頂けると信じている。









帰国後、甥っ子に旅の話をする機会があった。

彼は少額年生ほどなのに、中東を除き、欧米各国、アジア・南米と30カ国以上の国の国旗を全て把握していて、国名までスラスラ述べられる。
ここは危険で、ここは何々で〜とか言っているのをみていると、旅前の僕ですら、ほとんど把握していない国名のみならず、ただただ驚いてしまった。




帰国後、今後の経済が伸びるであろうマレーシアやシンガポールなどの東南アジアの新興国で働きたいなぁという漠然な思いがあった。

でもやっぱり厳しい。
大したキャリアも持ってないし、長男だし、家督を継ぎこの地に留まらなければならない。
今まで利己的に好き勝手やってきたんでね、何よりこの五年間フィジー留学以来やりたい事やったというやりきった感もあるし・・・
日本経済は衰退していくだろうが、ぼくは日本に留まるでしょう。





何より無事に帰ってきたのだから、自身の体験から得たことを経験として、日本の社会に還元できていけばこれに勝る喜びはありません。

あと家族も持ちたいな〜。

一つの夢(欲望)が去り、また新たな夢(欲望)が出てきた。
遊び人に人生にはピリオドを打ち、社会から必要とされ、真剣に生き残れる人間になろうと思います。



ではまた


そんな感じぅぃ〜で。
Check

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